1月6日【今日なんの日】徳川慶喜が密かに大坂城を抜け出し江戸へ逃亡
過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
1868年1月6日(慶応4年)
徳川慶喜が密かに大坂城を抜け出し江戸へ逃亡
(徳川慶喜 – Wikipedia引用)
鳥羽伏見の戦いで新政府軍の3倍ほどの兵力を持っていたにもかかわらず、幕府軍は敗走してしまい、幕府軍の敗戦を大坂城で聞いた将軍・慶喜は、慶応四年(1868年)1月6日の夜・・・わずかな側近だけを従えて大坂城を脱出し、幕府の軍艦・開陽丸で江戸に帰ってしまったというわけです。
つまり大坂城内にも、そして鳥羽伏見の各戦場にも兵を残したまま、トップだけが逃げちゃった・・・という事になります。
この、慶喜の行動は「大将の敵前逃亡」として非難の対象となるのですが、それには「慶喜は決断力が無く、場当たり的な行動を取る人物であったから」とか、「進軍をさせておきながら自分はいつも逃げ腰だった」とか、批判的な意見が囁かれたりと慶喜の行動には様々な憶測をされているようです。
その他の今日の出来事
- 斉明天皇、百済救援のため難波を出発 – (661年)
- 東成・住吉郡役所統合 – (1881年)
- 大阪ホテルで大阪市歌披露会 – (1903年)
- 私立関西法律学校、私立関西大学と改称 – (1905年)
- 大日本関西角力協会設立 – (1933年)
- 第2阪神国道(43号線)開通 – (1963年)
- 大阪東部金属製品センター開業 – (1980年)
(大阪市史編纂所より)
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