1月17日【今日なんの日】阪神・淡路大震災が発生(大阪市内の死者17人・負傷者357人・全半壊2338棟)
過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
根こそぎ倒壊した高速道路
1995年1月17日(平成7年)
阪神・淡路大震災が発生(大阪市内の死者17人・負傷者357人・全半壊2338棟)
(阪神・淡路大震災 – Wikipediaより)
1995年(平成7)1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする阪神・淡路大震災が発生したのが21年前の「今日」でした。
マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で震度7の激震を記録し、兵庫県を中心に大阪府、京都府も大きな被害を受けました。
鉄道・高速道路などの交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となり、自宅を失なって避難した人は最大で23万人に達した模様。死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6000人を超えたそうです。負傷者は約42000人、倒壊家屋は約40万棟。被害総額は10兆円にものぼったとのこと。
僕自信21年前の「この日」のことを思い出すのは、都島区で早朝のアルバイトで朝5:00からスーパーで商品の品出しの仕事をしているときの事です。いつも1時間ぐらいで終わる仕事で品出しの仕事を終盤にむかえた時でした。
午前5時46分…
最初は何が起こったか全く分かりませんでしたが、商品の陳列棚が左右に大きく揺れだし咄嗟に手で支え、パートさん達が悲鳴を上げて屈みこんでしまっているのを横目に、僕は早くおさまってくれと必死に陳列棚を支えていたことを今でもはっきり覚えています。
幸いにもこの辺りは震度4ぐらいだったので、陳列棚が倒れるまではいかなかったですが、テレビで見るような大地震の映像を目の当たりにして、万が一陳列棚の下敷きになったりしてたらと思うと、後から恐怖を感じました。
その後、陳列棚から落ちてしまった商品やビン類などが割れて、後片付けなどで早朝だけの仕事が昼過ぎまでかかったことをこの日が来る度に思い出します。
僕は大事には至らなかったものの自身の怖さを味わいましたので、この日のことを一生忘れることはないでしょう。やはり地震の怖さを後世に語り続けていくためにも、特別番組の放送や資料館などの展示は必要なことだと思いますね。
その他の今日の出来事
- 幕府、大坂三郷の富商に御用金を賦課 – (1860年)
- 築港研究会発会式 – (1891年)
- 肝付兼行、第5代市長に就任 – (1913年)
- 大阪第2飛行場(伊丹飛行場)開場式 – (1939年)
- 関西産業復興会議結成 – (1947年)
- 大阪市住宅協会設立 – (1951年)
(大阪市史編纂所より)
※この記事は1年前にアップした「今日なんの日」に加筆・修正して再アップしています。過去の「今日なんの日」とは内容を差し替えている日もあります。
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