1月17日【今日なんの日】阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生

過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
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生田新道 東急ハンズ三宮店東側(阪神・淡路大震災 – Wikipediaより転載)

1995年1月17日(平成7年)
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生

阪神・淡路大震災 – Wikipediaより一部引用)

20年前の今日この日を忘れられない人は多くいるでしょう。
1995年(平成7)1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生しましたのが20年前の今日でした。

マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録しました。近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けました。

大都市神戸を中心に阪神間の人口密集地を直撃し、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となり、自宅を失なって避難した人は最大で23万人に達したとの事です。

死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6000人を超えたそうです。負傷者は約42000人、倒壊家屋は約40万棟。被害総額は10兆円にものぼりました。

僕自信の20年前のこの日のことを綴らせていただきますと、この時、僕は大阪市の都島区にいました。早朝のアルバイトで朝5:00からスーパーで商品の品出しの仕事をしているときでした。いつもだいたい1時間ぐらいで終わる仕事でしたので、品出しの仕事を終盤にむかえた時でした。
地震が起きた午前5時46分。最初は何が起こったか全く分かりませんでしたが、商品の陳列棚が大きく左右に揺れていたのを咄嗟に手で支えていました。女性のパートさん達は悲鳴を上げて屈みこんでしまっているのを横目に、僕は早くおさまってくれと必死に陳列棚をおさえていたことを今でもはっきり覚えています。
幸いにも都島区では震度4ぐらいだったと思うので、陳列棚が倒れるというところまではいかなかったですが、テレビで見るような大地震の映像を目の当たりにして、万が一陳列棚の下敷きになったりしてたらと思うと、とても恐怖を感じました。
その後、陳列棚から落ちてしまった商品やビン類などが割れてしまい結局、後片付けなどで早朝だけの仕事が昼までかかってしまいました。

僕は大事には至らなかったものの自身の怖さを味わいましたので、この日のことを一生忘れることはないでしょう。やはり地震の怖さを後世に語り続けていくためにも、特別番組の放送や資料館などの展示は必要なことだと思いますね。 

先日報道ステーションでも阪神・淡路大震災の復興状況のニュースをやっていましたが、大震災の被害だけに目が行きがちですが、再開発されている街が実際はうまく活用されていない問題など、20年経った今でも苦しんでいる方がまだおられる現状を知っていかないといけないんだなと感じました。


その他の今日の出来事

  • 幕府、大坂三郷の富商に御用金を賦課 – (1860年)
  • 築港研究会発会式 – (1891年)
  • 肝付兼行、第5代市長に就任 – (1913年)
  • 大阪第2飛行場(伊丹飛行場)開場式 – (1939年)
  • 関西産業復興会議結成 – (1947年)
  • 大阪市住宅協会設立 – (1951年)
    (大阪市史編纂所より)

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