2月19日【今日なんの日】大坂町奉行所 元与力「大塩平八郎」が反乱を決起する
過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
大塩終焉地の碑(大塩平八郎 – Wikipediaより転載)
1837年2月19日(天保8年)
大坂町奉行所 元与力「大塩平八郎」が反乱を決起する
(大塩平八郎の乱 – Wikipediaより一部引用)
大塩平八郎の乱は、江戸時代の1837年(天保8年)に異常気象を皮切りに、連年飢饉が続くようになり、極端な米不足のため餓死者が相次いだことにより、幕府に業を煮やして立ち上がった大坂町奉行所の元与力大塩平八郎とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱のことであります。
かねてから、町奉行や豪商などに飢饉にあえぐ民衆を救うよう働きかけていた大塩平八郎は、大坂奉行の与力、つまり幕府の役人であったわけで、その幕府の役人による乱というものは前代見聞であり、幕府を震撼させたそうです。
ところが決起直前になって内通離反者が出てしまい、計画は奉行所に察知されてしまい、跡部を爆死させる計画は頓挫し、完全な準備の整わぬままに1837年2月19日の朝、自らの屋敷に火をかけ決起したのが乱の始まりでした。
門弟の武士や農民ら約300人を率いて蜂起したものの大坂の町の約5分の1が焼けたとされるが、半日で鎮圧されてしまったそうです。約40日後、大塩平八郎は隠れ家で見つかり自害したと伝えられています。
一見小さな乱のようにも思えますが、幕府側の人間による乱は当時の幕府に衝撃を与え、後の世にも深い影響を残すこととなった歴史の一幕なんです。
その他の今日の出来事
- 幕府、大坂・駿府金蔵所蔵の銀2万貫を江戸に搬送 – (1657年)
- 大阪国際ビル完成(当時西日本一の高層ビル) – (1973年)
(大阪市史編纂所より)
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