7月6日【今日なんの日】市電霞町玉造線(霞町〜玉造間)が開通
過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
1922年 – 1924年にかけて製造された1081形(市電霞町玉造線の電車が見つかりませんでした)
1921年7月6日(大正10年)
市電霞町玉造線(霞町〜玉造間)が開通
(大阪市電霞町玉造線 – Wikipediaより一部引用)
霞町玉造線は、大阪市の霞町停留場 – 玉造停留場間を結んでいた大阪市電の軌道路線でありました。1918年(大正7年)に大阪市電の第四期線として、霞町停留場〜阿倍野橋停留場間が開業され、1920年(大正9年)に阿倍野橋停留場〜東上町仮停留場間(2.7km)が延伸開業し、1921年(大正10年)7月6日に東上町仮停留場〜玉造停車場前停留場間(1.1km)が延伸開業し、全線開業となったそうです。
その他の今日の出来事
- 徳川秀忠、13日まで大坂城に滞在 – (1623年)
- 幕府、大坂商人に御用金85万5000両の上納を指示 – (1843年)
- 堂島米穀取引所、米価暴騰のため立会停止 – (1918年)
- 市電の争議団、高野山に籠城 – (1924年)
- 高野岩三郎ら市社会部が社会事業研究会組織 – (1929年)
- 南港埋立工事着手 – (1933年)
- 在阪の学者・文化人ら、「原水爆禁止大阪アピール」を発表 – (1977年)
(大阪市史編纂所より)
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