2月4日【今日なんの日】近松半二が亡くなる
過去の大阪市の「今日」はどんな事が起こった日だったのでしょうか?
『独判断(ひとりさばき)』に描かれた近松半二の肖像画
1783年2月4日(天明3年)
近松半二が亡くなる
(近松半二 – Wikipedia より)
江戸時代中期の浄瑠璃(じようるり)作者。儒者で竹本座と関係の深かった穂積以貫の次男として大坂に生まれています。本名は穂積成章。二代目竹田出雲に入門し、近松門左衛門を尊敬して近松半二を名乗った。宝暦元年(1751年)『役行者大峰桜』の序を書いてデビュー、師の没後、竹本座の中心的な作者となり、「奥州安達原(あだちがはら)」が好評で39歳で竹本座の立作者となったそうな。
1月28日の【今日なんの日】で紹介した「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」など秀作が多く、現在も歌舞伎でしばしば上演される名作群を書き竹本座の全盛期を築いたが、1783年初演の「伊賀越道中双六』の執筆中に亡くなったそうです。
その他の今日の出来事
- 白河上皇、四天王寺に参詣し、金堂で仏舎利を供養 – (1127年)
- 大阪市教育会発足 – (1899年)
- 全関西婦人連合会、大日本連合婦人会に非加入決定 – (1931年)
- 市営天王寺職業紹介所開設 – (1935年)
「夕刊新大阪」が創刊される – (1946年) - 大阪市内への初の建物除却、内務省告示 – (1944年)
- 大阪で証券集団取引市場再開 – (1946年)
(大阪市史編纂所より)
※この記事は1年前にアップした「今日なんの日」に加筆・修正して再アップしています。過去の「今日なんの日」とは内容を差し替えている日もあります。
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